日本橋の歴史
東京の中心に位置する中央区には、東京証券取引所が立地しているなど、東京だけにとどまらず、日本の経済の中心としての役割を果たす施設やオフィスがたくさんあることで知られています。
その歴史は古く、遠く江戸時代にまでさかのぼることができるといいます。
たとえば、現在も日本橋周辺は多くのオフィスが立ち並ぶビジネス街ですが、そもそも日本橋は江戸時代には全ての道路の起点として、また江戸の玄関口としての役割を果たす重要なポイントでした。
江戸、日本橋を目指して多くの人が集まることによって、さまざまな職業や役割が誕生・整備され、それぞれに特色のある街並み・エリアが築かれていったのです。
現在も中央区には、小伝馬町や鞘町、人形町などちょっと変わった名前の街が多く存在しますが、もともとはこれらの街の名前も、そのエリアに多かった職業がそのまま町名になっている名残りなのです。
日本一の繁華街として知られる「銀座」という地名も、もともとはこのエリアに金座・銀座という金貨・銀貨を鋳造する施設があったためであったりします。
現在の中央区
さて、このように古くから日本のビジネスの中心として栄えてきた中央区ですが、現在も中央区には数多くの中央区の賃貸オフィスが集まっています。
特に東京駅にほど近い八重洲エリアなどは大企業から中小企業まであらゆる企業に人気の高いエリアですが、新幹線などを使えば、地方からのアクセスの利便性も高いため、地方企業の支店などもこのエリアに多く集まるという傾向があります。
そのため、このあたりのオフィスは、東京都内だけでなく、日本全国の企業の中心としての役割を果たしているものが多いのです。
また、同じ中央区にあっても、日本橋を中心として広がるビジネスエリアとは違い、急速にビジネスエリアとして発展したエリアもあります。それが、晴海を中心としたウォーターフロントエリアです。
このエリアは、当然江戸時代などには存在せず、埋め立て地として整備が終えられてから、あっという間にビジネスエリアとして発展しました。